大隈重信の偉業を成す力
大隈重信というと、あなたはどのようなイメージを持つだろうか?
僕が大隈重信を知ったのは小学校の頃だと思う。
細かいことは知らない。
でも、「大隈重信が早稲田大学の創設者であること」
それだけは知っていた。
きっかけは僕の叔父だった。
叔父は早稲田卒で「早稲田」、特に「早稲田の政経」を愛していた。
彼は「俺は早稲田の政経を愛している」などと言う人ではない。
でも、話をしている時とその表情や言葉から「早稲田の政経が素晴らしい」と伝わってくる。
幼いながらに「自分の学校をそこまで好きなんて、本当に凄いな」と感じていた。
人によっては出身大学を口にする人のことを好きでない人もいるかもしれない。
でも、僕は全く違う。
これっぽっちもそんなことは思わない。
自分が育ってきた環境、やってきたことに自信をもつ人が好きなのだ。
もっと言えば、自分を信じ、自分を認めている人、
自信がある人のことが好きだ。
自分の出身大学を愛する人
それは自分の大学4年間を愛しているとも言える。
本当に素晴らしいことだと僕は思う。
叔父も含め、多くの人が愛する早稲田大学を創設したのが大隈重信
武士であり、政治家でもあった。
政治家としては総理大臣を2度やり、日本を牽引してきた。
その大隈重信が大きなことを成し遂げるために必要な力について話している。
「学問は脳、仕事は腕、身を動かすは足である。
しかし、卑しくも大成を期せんには、先ずこれらすべてを統(す)ぶる意志の大いなる力がいる、これは勇気である。」
「勇気か」
そう思いながら、大隈重信について、Wikipediaを読んでみると、これが面白い。
少しご紹介したい。
大隈は伊藤博文をライバル視していた。それについてエピソードがある。
伊藤博文がハルビンで暗殺されると「なんと華々しい死に方をしたものか」と悲しみつつも本気でうらやんだとのことである。
「死に方が華々しい」
それをうらやむのだ。
非常に面白い男だ。
その大隈重信が亡くなったのは1922年1月10日のことだ。
日比谷公園で未曾有の「国民葬」が催され、その数はなんと約30万人。
他の国葬と比べても、異常な盛り上がりだったのだと言う。
大隈重信は自分の死に方に対し、満足しているかは分からない。
でも、僕は伊藤博文に負けず劣らずの死に方だと思う。
それだけ多くの人に愛された大隈重信が作った学校
だからかもしれない。僕の叔父が早稲田を愛しているのはそれが理由かもしれない。


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