老子との対話 6

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老子との対話 6

私は勘違いしていた。

最近は考え方を改めたのだが、勘違いしていたことがあった。
もちろん、その勘違いが必ずしも間違いだったとは言えない。
でも、今の私には正しいものとは言えないものだ。

「勘違い」とは何か?

それは

「常に全力を尽くす」ということ

今でも「常に全力を尽くす」という気持ちであらゆることに取り組んでしまう気持ちはある。それは否定できない。

「常に全力を尽くすことの何が悪いのか?」

それは自分の力を限界まで使ってしまうことにある。自分の力を限界まで使ってしまうと、必ずその力は降下する。

シンプルに話せば、「100M走」を全力疾走してほしい。
間違いなく、そのスピードで走り続けることはできない。

仕事も同様だ。限界まで燃え尽きるように仕事をしてしまうと、その後は走り続けることが困難になるのだ。
あなたの周りにも「あの時はとてもやる気があったのに、今は全くやる気がないね」というような方がいると思う。

まさにそのような状況になってしまう。
あなたの街の坂と同じだ。坂はずっと登っていくようなものではないだろう。ピークが来て、いつかは必ず下る時が来る。ピークの後は必ず落ちるのだ。

だからこそ、重要なのは

「平常心」

この「平常心」自体のパフォーマンスを上げることだ。もっと簡単に言えば、あなたの平均的な状態のパフォーマンスを高めることだ。そうすることで、常に高いパフォーマンスを発揮することになる。

これを老子流に言えば、自分の自然な状態を良いものにしていくのだ。自分の限界の状態ではない。極端なことはせず、自分の自然な状態を高めて行く。
それが非常に重要なのだ。

「常に全力を尽くす」「常に平常心でいる」

この2つは、対局にあるが、どちらも世の中では同じように正しい言葉とされている。
だが、明らかに後者が高いパフォーマンスを継続して発揮できるものだ。

常に平常心を心がけ、その平常心の状態で最善を尽くせるようにしていく。
全力を尽くすことは悪いことではないが、少なくとも「常に」ではない。全力を尽くしたとしても、休む時は休む。上ったら下がる。
つまり、バランスをとることが重要だ。

ビジネスは長いマラソン。長いマラソンの中、100Mを全力疾走するようなことをしてはいけない。間違いなく、その後のマラソンを走り切ることはできなくなる。
足はガタガタと震え始め、前に進むこともできなくなる。自分のペースで走っていたのあれば、軽く走れるスピードも保てなくなり、トータルではボロボロの記録になる。

平常心。長く走れる状態を最善のものにしていくのだ。

老子は次のように語る。
「常に全力を尽くす」ということではないが、「ピークに達したものは降下する」と話してくれている。

「いつまでも器をいっぱいにして満たしつづけようとするのは、やめたほうがよい。
鍛えに鍛えてぎりぎりまで刃さきを鋭くしたものは、そのままで長く保てるわけはない。
黄金や家宝が家じゅういっぱいにあるというのは、とても守りきれるものではない。
財産と地位ができて頭が高くなると、自分で破滅をまねくことになる」

参考:老子道徳経 上篇

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