スペインの旅「資本主義」4
今回のシリーズでお話ししている内容は非常にセンシティブなものだ。
前回、お話しした「偶像崇拝の禁止」についても様々な見解がある。
そもそも、信者の方と信者以外の方によっても見解は違うだろうし、
イスラム教信者であるムスリムとキリスト教信者などの他の宗教の信者でも違う。
そこには色々な考え方があるはずだ。
その意味で私のこれからお話することは、あくまで私の見解であることをご理解いただきたい。
では、前回の話を少し話しながら、本題に入っていきたい。
グラナダにあるアルハンブラ宮殿をガイドしてくれたのはジャケットをスマートに着こなす50代くらいの日本人男性。
でも、彼には日本人の雰囲気はなかった。人生の大半をイスラム圏で過ごしていたからだ。
その彼が私にこう言った。
「イスラムでは絵が禁止されている」
アルハンブラ宮殿の中を歩きながら、そう言ったのだ。
確かにアルハンブラ宮殿に絵はなかった。
見事な寄木細工や漆喰の細工が繊細な模様を描いているので、
言われなければ絵がないことなど気がつかなかったかもしれないが、意識して見ると、確かに絵はない。
宮殿の中を歩きながら、
キリスト教の建築物を思い返していた。
「(フランスの)ノートルダム大聖堂にも確かにあるし、ミラノのドゥオーモなどにも絵はあるな」
全てのキリスト教の教会などの建築物を見ているわけではないが、そう考えるとないと思った。
私はこれを「偶像崇拝の禁止」が理由だと思っていた。
イスラムでは像や絵などで像を作り、それを「偶像」として崇拝するのを禁止している
それが理由だと思ったのだ。
理由
でも、ガイドの彼が言った理由はそれとは違うものだった。
「1人だけが稼ぐことになるから」
というものだった。
絵は1人で描くものだ。
でも、その描いた絵が売れると、その一人だけが儲かることになる。
このようなことは良くないと言うのだ。
逆にアルハンブラ宮殿を建築するような仕事は違う。
1人だけが儲かるわけではない。
多くの人がその建築の仕事を得ることができ、多くの人がその報酬を得ることになる。
それが良いのだという話だった。
その話を聞着ながら、私が考えていたのは「偶像崇拝」を認めることは「(一人の)絵描きが儲ける」ことにもつながるということだった。
誰かが「神」を絵で描き、それを信者に売ることを認めることは、その絵描きを儲けさせることにもなる。
それでは、イスラムの社会が混乱する。
その意味で、「ものを描く」という行為自体を「神の創造」の模倣と考え、否定していたのかもしれない。
そんなことを考えていた。
一人勝ちできない
イスラムでは商売自体は奨励されているし、利潤を得ることも奨励されているのでよく理解しづらいのだが、儲けてもためこんではいけないのだ。
例えば、ある人が稼いで豊かになったとしたら、その財産を貧しい人々に分け与えるのだ。(それを「喜捨」と言う)
イスラムの銀行さえも特殊だ。
イスラム銀行では利子がつかない。
そもそも、コーランでは利子を取って金銭を貸すことが禁止されている。
銀行は無利子の金融機関となっている。
(参考:Wikipedia)
様々なところで、一人勝ちできないようになっている。
その理由はイスラムの経済価値の根本にあると思う。
イスラムの経済価値は、「この世は神が作った世界であるから、世界のすべて(人もモノも金銭も)の所有権は神にある」というものだ。
その意味では神ではなく、1人だけがためこむというのは当然ダメだとも言える。
でも、それだけではない。
彼の「1人だけが稼ぐことになるから」という言葉で考えさせられたのは、イスラムの世界についてだけではなかった。
我々の資本主義についてだ。
それを次回お話ししていきたい。
(次回は週明けになる。楽しみにしていただきたい)




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