スペインの旅「質と美」最終回
外側の形を重視しない、イスラムの考え方自体が衝撃だった。
今のイスラムがどうであるのかはともかく、アルハンブラ宮殿が外部ではなく、内部に美があるのは確かだ。
それはある種、私の理想の1つでもある。
でも、その理想を見たことにより、我々の社会が外から見えるものにどれだけ影響を受けていたのかを強く感じた。
我々はその正反対の世界に住んでいる。
前回、そうお話しした。
外からどう見えるか?
いや、厳密には外からどのように感じられるかが重要だ。
あなた自身もそうだ
あなたを評価しているのは、外にいる人。
周囲の人々があなたを評価するのは「視覚」や「聴覚」、その他の感覚によるものだ。
あなたについての何らかの情報が、彼らの感覚に入り、彼らの脳に入る。
それであなたは判断され、評価されるのだ。
実際に良いということではない。
周囲の人々にとって、良いと感じられる人が良いのだ。
ある上場企業の経営者の言葉
彼とは非常に長い付き合いなのだが、
とても印象に残っていることがある。
(これは以前もブログでお話ししたことがある)
「偉くなる人はみんな声が大きいんですよ」
そのようなことを話していた。
もちろん、例外はあるが、確かにその傾向はある。
声の大きさも、外からどのように見えるか、聞こえるかということに大きな影響を及ぼしている。
言葉は稚拙だが、その人の「自信」を感じさせるし、その人の「能力」さえも感じさせるのだ。
私の経験でもそうだ。
例えば、会社員として出世するには声は大きい方が良い。
例え、同じ内容の発言をしたとしても、声が小さくボソボソと自信のなさそうにしゃべる人より、声が大きい人の方がはるかに良い。
逆に非常に優秀な方であっても、自信なさげにしゃべる方であれば、優秀には見えない。
中身が優秀であっても、外からはそう見えないし、感じさせないのだ。
つまり、
実は「優秀」さは必ずしも重要ではないということだ。
それよりも、
「優秀」に見えること
それが重要なのだ。
これを誤解し、内面を磨くためだけに努力をしてもうまくは行かない。
「アイツ(上司)は分かっていない」などと愚痴を言うことになるだけだ。
我々の社会はアルハンブラ宮殿とは違う。
内面のみ磨いても、外にそれを感じさせるものがなければ、発しなければ、理解してもらえない。
その「優秀」さが伝わるようにしなければならない。
もちろん、その「優秀」さはあなたにとっての優秀さではない。
相手にとっての優秀さだ。
相手が「生意気な奴」を求めていない場合、あなたの生意気さは相手のニーズを満たしていない。
それでは優秀とは言えないのだ。
「もっと、中身を見ろよ」と言っても、それは相手のニーズを満たしていないのだから、仕方がない。
そもそも、相手は我々の社会で生きてきた人間だ。
外に影響を受けず、内面を見ろと言っても、そのようなことはそう簡単ではない。
ただ、「程度」の問題はある
例えば、外に対して発信しすぎた場合はどうか?
アピールしすぎた場合はどうなるのか?
あなた自身が外から見れば分かるように、アピールしすぎた場合、見苦しくなる。
それは外に対する発信の仕方が違うのだ。
逆に全くアピールしないと、それは理解されない。
優秀さが分からないのだ。
その意味で「程度」が重要だということだ。
外側は無骨でアピールは全くしないが、中身は優秀。
そのような方で「彼は全然アピールしないけど、本当に優秀だ」と言われた場合、何かがきっかけで周囲の人にその中身が伝わったのだ。
それが伝わらなければ、その優秀さは理解されることはないのだから。
スティーブ・ジョブズの「見えないところも美しくする」というのも同じだ。
我々にジョブズのその言葉が伝わっている時点で、それは真の意味で内面にとどまっているものではない。
言葉自体は「見えないところ」というものだが、実際にはジョブズが話している時点で我々に「見えるもの」「感じるもの」なのだ。
それは純粋な意味で中身にのみあるものではない。
中身さえも美しくしていることを伝えることによって、アップルの製品の外側はもちろん、製品自体をより美しく感じさせている。
そのような効果があるのだ。
ジョブズの計算された外に発する言葉と見ることもできるかもしれない。
少なくとも、アルハンブラ宮殿とは全く違う世界に我々はいる。
あの宮殿は我々の世界では決してできないものだと思う。





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