老子との対話 29
「あなたは人を叱ったことはあるだろうか?」
あなたが部下をもつ身であれば、幾度となくあるだろう。
部下を叱る時、何を注意しているだろうか?
何を意識して、人を叱っているだろうか?
人を叱る時、僕は注意していることがある。
それは
「怒り」になる前に叱ることだ
例えば、部下があるミスを犯したとしよう。
そのミスを見て、「こんなミスをして」と思ったのに心の中でため込み、それが蓄積し、爆発するように「叱る」と、どうしても感情的になる。激しい怒りを相手にぶつけることになる。
これでは双方に利益はない。
叱る側も叱られる側もだ。
そもそも、何のために叱るのか?
ケースにもよるが、部下がした「ミス」などを改善するために叱るのだろう。
叱る側と叱られる側の関係悪化のために叱るわけではない。
感情的に叱った場合、叱る側は強烈な怒りを相手にぶつけたことで自己嫌悪に陥る。場合によっては相手と修復できないほどの壁を作るかもしれない。
叱られた側もそうだ。相手が上司であれば、本音は言わず、我慢するかもしれない。
でも、上司に対して「不満」を超えて、「憎しみ」を持つかもしれない。
だからこそ、重くなる前、軽いうちに怒ることだ。
心の中で何かを長期間ため込むとその鬱憤をはらすように怒りをぶつけるようになる。
だから、軽い段階で軽い話をする。
老子の言葉を読んでほしい。
「叱る」話ではないが、非常に参考になる言葉だ。
「武器というものは不吉な道具である。
不吉な道具であるからには、だれもがそれを嫌うであろう。
そこで「道」をおさめてそれを身につけた人は、武器を使うような立場には身をおかないのだ。
(中略)
武器というものは不吉な道具である。ほんらい君子の使用すべき道具ではないのだ。
どうしてもやむをえずに使用しなければならないとなれば、執着をもたずにあっさりと使うのが第一である。
勝利が得られても、決してりっぱなことではない。
(中略)
それをりっぱなこととして誉めそやすのは、つまり人殺しを楽しみとしているということだ。
そもそも人を殺すことを楽しみとするようなものでは、世界を支配したいという望みをもったところで、とてもとげられはしない。
(中略)
深い悲しみの心ですすり泣き、戦いに勝ったときも、葬儀の礼式に従って対処する」
参考:老子道徳経 上篇
「武器」とは何か?
僕たちビジネスマンにとって、「叱る」ということも武器の一つだ。人を攻めるのだから当然だ。それに、「武器」同様、「叱る」という言葉にも良いイメージを抱く人はいないだろう。
だからこそ、基本的には使用すべきではない。それでも叱らなければならない時は執着をもたずにあっさりと叱ることだ。
あっさりと叱る方法としては、僕が言う「怒り」になる前に叱る方法も有効だ。
老子は「武器はほんらい君子の使用すべき道具ではない」と言っている。
君子は企業で言うところの社長とも言える。
つまり、社長は叱ってはいけないということだ。
社長が叱ってばかりいたら、従業員は社長に好意は持たず、悪意を持つようになる。当然、社長のため、企業のため働かなくなる。
最悪、社長が叱らなければならない時もあっさりと叱ることだ。心の中でため込み、怒りをぶつけるように叱ってはいけない。
あっさりと叱ること。それが重要だ。
武器は不吉な道具
使い方には注意が必要だ。
あなたが社長であればなおさらだ。
数年前、ある優秀な社長が「叱り役がほしい」と話していた。
これはまさにこのことだ。


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