老子との対話 10
「成功要因はコレかもしれない」
膨大な広告を展開し、膨大なクリエイティブを分析する。
すると、成功する複数の広告に共通する成功要因が見えてくる。
全く別のクリエイティブなのだ。本来はつながるわけがない、そう考える人もいるかもしれないが、これは真実だ。
実際に広告に深く携わっている方であれば誰でも経験したことがあるだろう。
それが見えるようになると、広告を展開するスキルも初心者の域を越えたと言える。これは説明しても、本当の意味は実感できない。実際に体験していただくしかない。
さらに行くと、あらゆる人や事例を見る時もそれが見出せるようになってくる。「アイツとコイツはこれが成功要因」だとか「あの事例とこの事例はここが成功要因」だとかが見えてくる。
ここで終わりではない。さらに行くと、複数の成功要因がつながる。あの成功要因とこの成功要因を一言で言えば、こういうことだな、と成功要因がつながる。僕たちの目にはバラバラに見えていたものが、ある一つに集約されていく。
それは「原則」だ
でも、その「原則」はすぐには見えない。僕たちの目や耳などで見えるもの、聞こえるものは原則ではない。
表面的なものだ。それらに惑わされてしまう。見えるもの聞こえるものの奥に「原則」が存在する。それを見つけることだ。
「原則を守る」と人は言う。
どこでも言われていることだ。
でも、実際には僕たちは原則と原則以外の事象がぐちゃぐちゃの状態の中で生活している。だから、原則が何か分からないし、それを破ってしまってもいる。気がつかないうちに原則から外れた行動をとり、物事がうまく行かないケースも多い。
もっと言えば、原則を探そうともしていない。そして、本質を考えずに細部にばかり惑わされてしまう。
「原則」を探そうとすれば、僕たちにも「原則」は少しずつ見えてくる。例えば「AIDMA」という言葉があるが、その最初にある「注意」というもの1つとっても、膨大な広告をよく見ていけば、人の注意をひきつける必要があるという「原則」は見出せる。教わらなくてもだ。
もちろん、自分で見出したものは「注意」という言葉ではないかもしれない。
でも、「人の目」を引きつけるものが必要だということは見えてくる。
時代を超える
ここまで「老子」の話をしてきた。実際に感じていただいたと思うが、2600年前の言葉とは思えないほど、共感できる。まるで現代の人間が語っているのかと思えるほど、共感でき、理解できるのだ。
それは何故か。
老子が原則を語っているからだ。
ドラッカーは「基本と原則に反するものは、例外なく破綻する」と言っている。
確かに例外的な問題はある。でも、それは非常にわずかだ。多くの状況は特殊な状況ではなく、一般的な状況であり、原則に基づいた解決策を必要とする。だからこそ、一度正しい原則を得たならば、同じ状況から発する問題は、すべて実務的に処理できる。
そうドラッカーは言っている。まず、考えるべきは原則なのだ。この原則は時代の変遷とは無関係だ。
老子の言葉はそれを教えてくれる。
「目を見はってよく見ようとしても見えない、そこで、形のないものという意味で、それを『夷(い)』と名づける。耳をそばたてて聞きとろうとしても聞こえない、そこで形のないものという意味でそれを『希(き)』と名づける。手でさぐりとろうとしてもとらえられない、そこで、微妙なかすかなものという意味で、それを『微(び)』と名づける。これら3つのことは、もはやそれ以上には、たずねてつきとめることはできない。それらは、もともとまじりあって一つになっているのだ。(中略)古いむかしの本来の『道』の立場をしっかりと守って、それによって現在の目の前のものごとをとりしきっていけば、古いそもそもの始源(はじまり)を知ることができる」
これは世界の万象をつらぬく真実、「道」のことを言っている。
道は例外のないものだが、我々が考えるのであれば、「原則」だ。「原則」もこれ近いと思う。一つ一つの事例のように、目で見てもすぐに見えるものではない。耳で聞こうとしても明らかに聞こえるものでもない。手でさぐりとろうとしても、触れない。
かすかなものから見えてくるのが原則だ。
そして、それらは過去にも共通するもの。
過去も未来も共通するものであり、現在は過去の積み重なっているもの。
そう考えると、原則が支えている世界とも言える。
原則を何よりもまず押さえる必要があるのだ。
老子はそう教えてくれる。


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