スペインの旅「資本主義」10
実は、少数になるだけではダメなのだ。
「少数」になったとしても、一方は成功し、一方は失敗する。
そう、前回お話しした。
「少数」になる
実はこれは勇気のいることだ。
芸能人になるということでも
起業をするということでも
どのようなことでも良い。
多くの人が向かう方向と違う方向に進む。
それは「多数」の世界に属していると、そう簡単ではない。
例えば、あなたが会社員だとして、
会社を辞め、何らかのビジネスで起業するとしよう。
ご存知のとおり、日本で起業する人など今は少ない。
それだけで「少数」になる。
「大多数の人が大学に進むから、俺も進む」というのと正反対。
それは本当に勇気のいることだ。
しかも、会社員の時のように「お金」を稼げるか分からないし、ビジネスが成功するかも分からない。
生活していけるか、分からないのだ。
では、その勇気をもって進んだ人たち全てが成功するのか?
申し訳ないが、そのように簡単ではない。
会社員時代に蓄えたお金を全て失い、会社に戻るような人もいる。
そう簡単ではないのだ。
仮に起業がそれほど容易なことであれば、皆が皆、起業をしている。
多くの起業志望者が「いや、やっぱり、止めておこう」と考えてしまうのはまさに自分も失敗する可能性があるのだと思ってしまうからだ。
では、何が違うのか?
成功する「少数派」と失敗する「少数派」は何が違うのだろうか?
実は、この前者と後者にはそう差はない。
少なくとも、私はそう思っている。
共に「少数」になるという勇気は持ち合わせているのだ。
「馬鹿と天才は紙一重」という言葉があるが、まさにそれだ。
馬鹿になるのも、天才になるのも「少数」ということでは同じ。
成功する起業家も失敗する起業家も「少数」ということでは同じだ。
多数が流れる方向と違う方向に進み、恐怖に立ち向かい、自分で自分の道を切り開こうとはしたのだ。
その意味では同じだ。
では、違うのはどこか?
まずは「少数」だ。
世の中に氾濫している企業
世の中に氾濫しているビジネス
世の中に氾濫している商品
そうしたものの中で「少数」になる必要がある。
これは今までお話ししたとおり、重要なことだ。
次に重要なのが「多数」だ
「多数」に評価されているかどうか?
それが非常に重要なのだ。
アートの世界だって同じだ。
芸術家であれば、オリジナリティ、独自性。
そうしたもので、「多数」ではなく、「少数」に属する必要がある。
他の芸術家に埋没するような平凡さではダメなのだ。
ただ、「少数」に入る段階では「天才」も「馬鹿」も一緒だ。
多数の芸術家と違う道に進む必要がある。
「天才」になるためには、ここで「多数」に評価される必要があるのだ。
考えてほしい。
「天才」と呼ばれる芸術家の中で評価されていない人はいない。
もちろん、その人の作品を買わない人もいる。
その人の作品が嫌いな人もいる。
その人の作品を理解できない人もいる。
でも、ある一定の多数派は「この人の作品は最高だ」と思っているのだ。
単に「少数」ではない。
「多数」を押さえる「少数」になる必要があるのだ。
そのためにはやるべきことがある。


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